2006.06.01
安曇野は、日本一の蜂場です。~養蜂家 佐野友治氏~
長野県安曇野。北アルプス山麓に美しい田園風景が広がります。安曇野に様々な花が咲き始める初夏、蜂蜜採集が最盛期を迎えます。三代にわたって養蜂業を営まれる長野県養蜂協会副会長の佐野友治さんにお話を伺いました。
安曇野で取れる主なハチミツは、癖がなく広く好まれているアカシアです。安曇野といえばわさびが有名ですが、かつて、わさびの生育に木陰を作るために畑の脇にアカシアが植えられたそうで、大きなアカシアがたくさんあります。5月中頃でしょうか、犀川沿いのアカシアが咲くと蜜の採集が始まります。それが終わると近くの山の麓、そして中腹のアカシアへとミツバチたちは飛んでいきます。都合1ヶ月以上蜜が取れるでしょうか。期間が長く、蜜の量も豊富。私はここが日本一の蜂場だと思っています。
蜂箱1箱に群れるミツバチは約2万匹。佐野さんのミツバチは最盛期には4万匹、蜂箱からあふれるほどまでに増えます。群れをどれだけ増やせるかは、養蜂家の一番の腕のみせどころ。蜂の数はそのまま、採集できる蜜の量になるからです。1箱4万匹の群れを実に200群以上も飼育する佐野さん。二代目のお父さんについて回った転地養蜂の時代に多くの技術やノウハウを学んだ、とおっしゃいます。以前は、鹿児島から北海道まで、季節の花を追いかけミツバチと一緒に移動していましたが、その中で優れた技術を持つ養蜂家の方に大勢出会いました。一流の養蜂家は、技術やノウハウを決して教えてくれませんが、仕事を手伝うことは許してくれます。それで、手伝わせてもらいながら学び、秘訣を自分のものにしていくんです。
養蜂の環境はずいぶん変わった、とおっしゃる佐野さん。バブル期、鹿児島の広大な菜の花畑はゴルフ場用の芝畑に変わり、北海道では開発のため、蜜源のシナノキが大量に伐採されました。その後山口のレンゲが、タコゾウムシという外来虫で壊滅的な被害を受けて、転地養蜂は出来なくなり、養蜂の環境は決して良いとはいえません。現在、安曇野に拠点を構え養蜂に従事される佐野さんですが、最近は蜜の採取以外のニーズが高まっている、とおっしゃいます。養蜂は花の蜜を取ることだけではありません。リンゴなどの果樹から、ハウス栽培の野菜まで、ミツバチを利用した受粉=ポリネーションの需要が大きいんです。
たとえば、イチゴ。クリスマスケーキ用のイチゴは形と粒が整っていなくてはなりませんが、ああいうイチゴの受粉にはミツバチがよく使われます。ミツバチは、蜜をなめながら雌しべの周りをくるりと回る。すると体についた花粉がめしべに満遍なくついて、形の良いイチゴができます。メロンもそう。最近ではナスとかトマトなどのハウス栽培にもポリネーションが積極的に導入されています。これからリンゴ農家への貸し出しが始まり、その後はスイカ。ミツバチが丁寧に受粉してくれるから、しっかり種の入った、美味しいスイカができるんです。
佐野さんは、毎年春と秋に、蜂場の見学会を開いています。消費者に、どのようにしてミツバチは集団生活をしているのか、女王蜂はどんな姿をしているのか、蜂蜜はどう貯えられているのか等、実際に見て理解してもらいたい、と考えているからです。高度な社会性を持つ昆虫といわれるミツバチの生態を学びながらの見学会には毎回多くの方が参加するそうです。
養蜂に使われる西洋ミツバチは100年以上前に輸入された外来種で、人間が守ってやらないと生きていけません。病気になったり、天敵のスズメバチにやられてしまうからです。スズメバチに襲撃されると、数万匹のミツバチが、わずか1、2時間で全滅してしまいます。養蜂とは、文字通り蜂を養うことで、天敵から守ったり、越冬できる環境を整えたり、蜜の取れない期間には食料の砂糖水を与えたり、実は蜜を取る期間よりも長い養育の期間があるのです。養蜂は人間とミツバチがお互いに助け合う関係性の中で成立しています。安曇野がいつまでも養蜂ができる、花が豊かに咲き続ける場所であって欲しいと願っています。
佐野 友治氏
昭和28年長野県穂高町(現安曇野市)生まれ
昭和50年東京経済大学経営学部卒
現在、長野県養蜂協会副会長・理事、同松本支部長
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