2005.07.01
環境教育に一番必要なのは、哲学ではないでしょうか。 NPO法人戸隠森林植物園ボランティアの会理事長水上憲宗さんに最近の活動について伺いました。
長野県戸隠高原で、地域に根ざした環境活動を展開されている水上憲宗さん。会長を務められていた戸隠森林植物園ボランティアの会が昨年4月にNPO法人化。理事長として、戸隠の環境保全、そして、遥かな歴史の中に埋没する戸隠の魅力の発掘など、活発な活動をされています。79歳のご高齢にも関わらず、インタビュー当日も大きなワゴン車を運転していらっしゃいました。当ピジョンポストのインタビューは5年ぶり。最近の活動について伺いました。
-戸隠森林植物園ボランティアの会がNPOの法人格を取得され、行政との連携、また、民間の環境団体の助成なども導入しながら、ますます精力的に活躍されていらっしゃいますね。
NPOになって何かが大きく変わった、ということは特にないのです。ただ、最近も、私たちがつなぎ役になって、環境省、営林署、県地方事務所、NPO等の実務担当者が集まって森林植物園をテーマにした話し合いの場を持ちました。こうしたネットワーク化、その活性化で私たちに出来ることはいろいろあると思います。
戸隠森林植物園に関していえば、この春、園内の遊歩道がバリアフリーになりました。戸隠の魅力は様々ですが、自動車やバスで簡単に来られ、深い森の佇まいの中に簡単に入っていけるのもひとつ。体が不自由な皆さんにも、戸隠の豊かな自然に親しめる場所になってきています。ただ、課題ももちろんあります。
-それはどんなことでしょうか?
最近一番感じるのは、ともすると「あの野鳥は、この植物は、○○という名で、生態はこうです」と、即物的な知識に終始した案内になって しまっている点です。鳥や花の名前も大事ですが、もっと大切なことが伝えられていないのではないか、と思うのです。
例えば、ここ戸隠で長年にわたって育まれてきた文化です。戸隠の人々がこの土地でどんな暮らしを営んできたのか。自然とどう関わってきたのか。そうした背景に思い至り、理解した上であれば、もっと深く、多面的に戸隠の魅力を伝えられるのではないでしょうか。
-戸隠は、古くから山岳密教の霊場で、鎌倉時代には、高野山、比叡山に匹敵する一大霊場にも数えられた
とか。そういう意味では、実に哲学的な土地柄ですね。
現在の信州大学教育学部が長野師範学校と呼ばれていた時代、戸隠は学生たちの逍遥の地でした。彼らは、ただ自然に親しむだけでなく、ここで西田哲学を学んだといいます。
長野師範学校の卒業生の一人に、東京の小石川高等学校で初代校長を務めた伊藤長七という方がいます。伊藤先生は、かつて逍遥した戸隠に土地を購入し、その後、これを母校小石川高等学校の同窓会に寄付されました。私が経営するロッヂはちょうどその土地の前にあり、管理を任されています。この土地は、戸隠の中でも大変植生の豊かな場所です。今、この土地でもぶなの植林を進めています。
-水上さんは、森林植物園のボランティアや植林だけでなく、埋もれている戸隠の歴史にスポットを当てる取り組みにも情熱を傾けてらっしゃいますね。
戸隠の老舗旅館の宿帳には、実に5万にも及ぶ「講」(神仏を祭ったり参詣する同行者が組織する団体)が記されています。彼らが戸隠に至る古道を「講の道」といいますが、かつて、戸隠と周辺をつなぐ古道はいくつもあったんです。それを掘り起こせないか調べていると、面白いことが判ってくるんですよ。
例えば、戸隠の西に小谷温泉という古くからの湯治場がありますが、そこの老舗旅館の宿帳には、厳冬期に、戸隠の女性が子供を連れて湯治に訪れた、との記録が残っています。今の自動車の道だと60kmほど離れていますが、山の中を直線的に行くと実は20km程度。戸隠と小谷を結ぶ古道を使って、真冬に、天気の具合を見計らいながら湯治に訪れたのでしょう。雪が積もって出来る冬だけの道があって、そこを通っていったんじゃないか、という想像すらできます。
-古い宿帳から古道の存在が明らかになってくる。そして、かつて戸隠に生きた人々や、戸隠を訪れた人々の生活の断片や思いすらも活き活きと浮かびあがってくる。現在の現象だけでなく、時間軸を遡って「戸隠という生き方」に学び啓発されることは、水上さんのおっしゃる「哲学」に通じるのでしょうね。最後に、今後の抱負をお聞かせください。
私がやってきたのは、レールを敷くことです。幸い、知的財産や人のネットワークはできてきました。これからは、この財産を次の世代にしっかり受け継いでいきたい。気負うことなく、これまで通り、じっくり取り組んでいきますよ。
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